ひとと動物のかかわり研究会リレーエッセイ
 人と動物のより良い環境作りを目指して、いろいろな思いをみんなで綴っていく、リレー・エッセイのページを作りました。このページで「ひと」と「ひと」の輪を広げていこうと思います。
 リレー・エッセイのルール: このページに執筆を依頼された方は、執筆後、次にバトンを渡す方を見つけます。そして、研究会の活動を伝え、エッセイの執筆をお願いします。エッセイのテーマは自由です。日常の生活で思うことや伝えたいことを綴って下さい。

−博物学的視点を培う−

 2004年2月の亡き奥井一満教授の最終講義を思い出してペンをとっている。
先生は最初に「博物学とは森羅万象について記述する学問である」と話された。私は不思議に思い手元の辞典を引いてみた。「博物学:生物学・鉱物学・地質学の総称」とあった。なるほど、古来より人間を取り巻いてきた自然を観察し、その詳細を書きとめ、後生に伝える学問であると理解できた。
 博物学を理解するために、理系の専攻や言語を限定する必要はないが、博物学史(誌)的視点は必須となる。その自然科学的な多様性は哲学に関する問題を孕んでいて、その証拠に我々人間が自然界に興味を持った第1のエポックは“ギリシャ哲学”に遡ることができる。中世以降には記述の精密化が起こり、材料を詳細に観察して緻密に表現する方向に進み、それは科学技術の発達につながった。次いで産業革命が起こり、人間の生活が便利になる道具が開発されると、同時期にエネルギー源の変換により公害が発生し始めた。そして、人間は自分たちの仕業により自然界そのものが変化していくことに気づき、その反省が博物記(誌)となったという訳である。つまり、人間社会の繁栄と博物学の発展は相互にリンクしているのである。近代、人間は自然を利用しすぎたことに対する反省のような形で博物誌的発想をもつに至った。その一例がシートン動物記で、自然界に対する畏敬・崇高の念から動物に思想をもたせたと解釈できる。一方、社会に受け入れられにくい自己の主張を物語として表現したという解釈もある。

人間は自然界の恩恵と自己の繁栄をブーメランのごとく再考してきたが、これは人間のもっとも苦手とする領域である。フィードバックなしに人間界の栄華の存続はないにもかかわらず、現代の人間は再考せずに繁栄のみを追求する姿勢を崩さず、次世代のための義務を怠っているのではないだろうか。自然界では100%の生存はありえず、絶滅も進化のうちである。こういった観点から、現代の人間の行いは「非博物学的」であると言わざるを得ない。
あの頃の私は、教授の話が正直言ってとても難しく感じられ、すんなりと理解することができなかった。しかし、時間をかけて考えてみると「ひとと動物のかかわりを博物学誌的な視点から考えることは、人間の義務です」と教えてくれたように思う。
                                                                                                                             Chika

【自己紹介】

小さな頃から生き物に興味をもっていて、獣医師の道を選びました。今はひとと動物の双方の健康維持に役立つものを作りたい!という目標に向かって奮闘中です。好きなもの:花と犬とアザラシ。

 

【奥井一満先生の紹介】
1933年鎌倉生まれ 動物行動学者 東京農業大学博士課程終了後東京農工大学で日高敏隆教授に師事動物行動学を学ぶ。北里大学教授を務め2003年退職。2004年没。 著書に「悪者にされた虫たち」(朝日選書)、「アワビがねじれてサザエになった」(カッパサイエンス)、「人間は失敗作である」(ブックマン社)など多数。
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